天皇・皇室をめぐる議論でしばしば登場する
用語として「権威」と「権力」という言葉がある。しかし、漠然としたムード的な用い方が多く、
両者の端的な違いがしっかりと整理されていない場合も見かける。国家統治の場面に限定して、両者が主に対照的に語られる
場合の違いを、ごく簡単に述べると、およそ以下のようになるだろう。〇他人を外形的な力(警察・軍隊など)で従わせるのが「権力」。
〇他人を本人の内面的な同意や納得によって従わせるのが「権威」。
これに対し、真に「権威」として同意や納得に足るだけの
内実を備えているかどうかを、主体的・理性的に
吟味・検討することなく、「権力」をそのまま
“権威”であるかのように受け止め、盲目的・思考停止的に従う
(又、従わせる)のが「権威主義」だろう。従って、「権威主義」は「権威」を尊重する立場ではなく、
逆に“エセ権威”を「権力」的(!)に人々に押し付ける
(又、その“権力的押し付け”を無批判に受け入る)態度と言える。あるいは、社会において真の「権威」が不在であったり、
隠蔽されていたりする場合に“のみ”登場するのが「権威主義」である、
と言ってよいかも知れない(真の権威を、それに相応しく尊重することは、
決して「権威主義」では“ない”ので誤解のないように!)。だから伝統ある君主制が滅んだ後に、
“エセ権威”を振りかざした独裁者が現れて
「権威主義体制」を築くのは、ある意味で必然とも言えるだろう。【高森明勅公式サイト】
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